相次ぐ成功体験で確立された座右の銘とは
高校時代はほとんど勉強せず、まわりから大学進学を危ぶむ声があったほどでした。「このままではあかん!」と一念発起して猛勉強。その甲斐があり、無事に大学に進学できました。攻めの姿勢を持ち、頑張ればどうにかなることを実感した最初の体験です。
大学では教育学部で技術を専攻し、技術科の4分野「材料と加工(木材・金属など)」「エネルギー変換(機械・電気)」「生物育成(栽培・飼育)」「情報(制御・プログラム・情報発信)」を学ぶことになります。
勉学の一方、熱中したのが軟式テニスです。最初は後輩から学校内でテニス大会があるから一緒に出てほしいという誘いがあり、軽い気持ちで受けたのですが、試合当日クルマに乗せられて着いたのは関西圏の大学が集まる大きな大会でした。半ばだまされての強制エントリーです(笑)。経験者とはいえ、ブランクがあってその大会では大敗を喫します。
それでも久々のテニスが楽しくて仕方がなく、どんどんのめり込みました。その結果、翌年はチームメイトに恵まれたこともあり、インカレ(大学スポーツ競技の全国大会)に出場できたのです。果敢に挑戦する勇気を持てば報われることを実感した2度目の体験でした。10代、20代に起きたこれらの小さな奇跡を通じて、私の座右の銘は「為せば成る」となりました。
大学卒業後、実際に技術科の教員採用試験を受けますが、当時は倍率が数十倍の狭き門で不合格。教える側より、学ぶ側に身を置くほうが性に合っていると感じたのかもしれません。すっぱり見切りをつけて就職活動を開始し、技術者の出向をメインに扱う会社に入社します。出向先は大手通信キャリアに決まり、個人顧客向けのメタル回線、光回線の保守業務に就きます。偶然ですが、大学で学んだ技術科の知識がそのまま生かせる業務だったため、すんなりと現場に溶け込み、日々新たな技術を吸収しながら仕事に励みました。
日々の技術力の研さんが災害対応で実を結ぶ
3年ほど業務を続けたころ、私の勤務先である大阪の保守センターが東京に一本化されることが決まります。大阪で仕事を続ける条件は、技術畑ではない部署への出向でした。もともと大阪を出るつもりはなく、今以上に高いレベルの技術力を身に着けたいという強い思いから転職を決意。たまたま条件に合致する募集をかけていたNTTコムエンジニアリング(以下、コムエンジ)に応募し、縁があり採用の運びになりました。
入社後は、NTTコミュニケーションズのコアネットワーク領域で低速アクセス回線の発注業務をメインに担当します。一言に発注といっても、現場の施工担当など連携するプレーヤーが多く、納期通り仕上げるためには関係各所との細かな調整が必要です。私は入社してから1度もNGを出さない記録を更新中でしたが、2011年の東日本大震災で途切れます。分断したネットワークの復旧が優先され、開通は後回しにされる状況だったのです。
震災への対応では、通信事業で働く一員にも関わらず、何もできなかった自分を悔やみました。そこで、大規模災害などの非常時にこそ活躍できる仕事がしたいと異動を志願します。その後、BCP業務、開通業務を経て現在のオンサイト大阪に移り、広く深く技術力を強化していきました。
雪辱の機会が訪れたのは、2020年のことです。熊本豪雨災害で熊本と鹿児島を結ぶケーブルが切断された際、すぐに現地に乗り込んで新ルートの構築対応を行いました。長年胸につかえていたモヤモヤが解消されたような瞬間でした。とはいえ、現場対応では技術的、知識的な未熟さを感じたのも事実で、「まだまだ勉強せんとあかん!」という思いも強くなりました。
大阪を守る技術者になるという揺るぎないビジョン
発注、開通の仕事でも技術力が高まる感触はあったのですが、オンサイト大阪に移ってからは一気に加速した印象があります。なぜなら現地に出向き、サービスオーダーや故障対応などの業務にあたる機会が増えたためです。見ると聞くとは大違いで、実際に担当者と向き合い、物理的な通信設備を目の当たりにすることで、格段に仕事が回しやすく、楽しくなったと感じています。
私はずっとL1(物理層)をメインに担当していたのですが、現地に赴くことが増えたおかげで、L2(データリンク層)やL3(ネットワーク層)の知識も広く学べるようになりました。現在は、複数層のレイヤー技術を吸収する、非常に有意義な日々を過ごせています。
そんなオンサイト業務を深掘りする姿を見て、上司から「未来ワーキング」への参加を打診されます。詳しい活動内容は知らなかったのですが、二つ返事で参加を決めました。未来ワーキングに加わってみると、各部署で業務をけん引するエース級の顔ぶれがそろっていました。私自身、多少なりともコムエンジの主要業務を回してきた自負があったのですが、多岐にわたる領域のプロが一堂に会する集まりは大きな刺激になりました。おそらく上司には、コムエンジの業務全体の見渡してほしいという思惑があったのでしょう。
現在はメンバーたちの熱量に共鳴して、未来に向けた取り組みを意欲的に進めています。私は「Dream Workers」というチームに参加しており、これまでにない新しい発想のサテライトオフィスをつくるチャレンジをしています。オフィスワークからテレワークへの移行が進むコムエンジでは、仕事のコミュニケーションが取りづらいことが社員たちの課題となっています。気の合う社員同士が働いて、終業後はBBQを楽しめるようなサテライトオフィスが実現できれば、新しい働き方の実現につながるでしょう。いずれは、自治体との連携による地域貢献やSDGsの取り組みにもつなげていければと思っています。
私自身、生まれも育ちも大阪です。未来ワーキングに参加するまでは、大阪に腰を据え、誰にも負けない技術力を身に着けるキャリアプランを描いていました。しかしながら、いまではサテライトオフィスのような、新しいビジネス創出にチャレンジしたい気持ちも芽生え始めています。それでもまずは大阪を守り抜き、コムエンジ全体を笑顔にする技術者になることが最優先です。どちらにしても諦めずに、勇気をもって挑めばうまくいく、「為せば成る」ものだと信じています。
OFF TIME
石川県・輪島の漁師だった祖父の影響で、子どものころから釣りが趣味です。祖父が亡くなったいまでも、輪島に親戚が集まると、宴席用のお刺身を調達するためのハマチ釣りは私の役割。当然“坊主”だと怒られてしまいます(笑)。結婚して子どもができてからは、家族で旅行やBBQをするのが楽しくて、釣りをする機会はちょっと少なくなっていますね。
PROFILE
枡本 仁
2008年、NTTコムエンジニアリングに入社。コアネットワークの発注や開通業務を経て、現在はオンサイトの業務に取り組みながら、技術力に磨きをかける日々を過ごしている。生まれ育った大阪に腰を据え、現場で苦楽をともにした仲間を守るために、広範囲な知識を持った技術者を目指す。