ドコモビジネス|NTTコム エンジニアリング

坂梨 敏和

EXPERT

東京⇔大阪で築いた成功体験と幅広い人脈
歴戦のノマドワーカーは次世代に夢を託す

坂梨 敏和

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    ソフト、ハードの現場を経て挑んだ
    インフラネットワークの道

    生まれも育ちも大阪の堺市です。小学生のころは野球少年で、中学校・高校では陸上部に所属し、短距離走、幅跳び、3段跳びなどの競技に取り組んでいました。工業高校でしたので、CADを使った製図の授業もありました。その際、漠然とITに興味を持ったような気がします。

    キャリアのスタートは、ソフトウェアハウスです。COBOLという計算用プログラムを使って、経費計算ソフトなどを開発していました。次に就職したのは、PC周辺機器メーカーです。コンシューマー向けのルーターやモデム、ハードディスク、MOドライブ、CDドライブなどの機器を扱っていて、製品の保守や電話でのお客さまサポート、販売促進業務などに6年ほど従事しました。仕事の傍ら、情報処理の勉強を行い、資格を取得しました。その勉強を通じて、ネットワークに興味を持ちました。そこで、資格が生かせるネットワーク関連の仕事を探していたところ、ちょうどNTTコムエンジニアリング(以下、コムエンジ)の大阪勤務の募集があり、入社することができました。

    最初に配属された堂島ネットワーク事業部では、回線マイグレのアクセスライン設計を担当しました。そして新たな業務として生産ラインを立ち上げて、東京の設計担当と連携しながら仕事を回す中、私は大手コンビニエンスストアチェーンのお客さまの回線設計を手掛けていました。日本全国の店舗に対して、ラインリーダーとしてチームを率いて回線導入を完遂できたことは、非常にいい経験になりました。

    2011年、生まれてからずっと大阪で暮らしてきた私に、東京への異動辞令が出ました。担当業務は、大阪と東京の交流を密にして、連携を強化することでした。半年ほどでしたが、東京で営業SE担当としてオーダー調整業務に従事し、大阪に戻ってからは引き続きオーダー調整業務を担当しました。しかし、また1年も経たないうちに東京への異動が決まります。大阪と東京を行き来する人生の始まりでした(笑)。

    完遂困難なプロジェクトに
    携わった仲間が財産に

    2011年に起きた東日本大震災を踏まえて、伝送系設備を冗長化するBCP構築が急務となっていました。私は半年ほど東京に赴き、中継伝送設備の設計・開通・現地作業などのノウハウを習得し、大阪に戻ってからは中之島BCP担当を立ち上げ、万一、東京が被災した際には、大阪で事業が継続できる仕組みを構築しました。ほっとしたのも束の間で、2013年になると3度目の東京赴任が決まります。

    次のミッションは、伝送装置の100Gネットワークを全国構築するプロジェクトでした。BCP構築を担当したことで、白羽の矢が立ったのでしょう。大阪から単身上京し、プロジェクトに加わりました。メンバーは8人の少人数で、しかも1年という短期間で終える必要があるという、困難なプロジェクトです。そのため、日々メンバー同士で知恵を出し合いながら、どうすればうまく進められるのか議論しました。

    メンバーのみんながマルチにタスクをこなし、無駄なく動いたことで、1年後、プロジェクトは無事に完遂できました。苦労はしましたが、終わってみれば、多様な知識が身に付き、成長できたプロジェクトでした。1人では難しいことでも、みんなで知恵と力を出し合えば、成し遂げることを学び、素晴らしい仲間とともに、大きな達成感を得ることができました。

    2014年に大阪に戻って設備縮退設計を2年ほど担当し、次にNTTコミュニケーションズ(以下、NTT Com)の直営部隊としてオンサイトユニットの立ち上げにアサインされました。コムエンジ内では誰も経験がなく、ルールがわからない状況で、初期メンバーとしてオンサイトユニットへ異動しました。まったくのゼロから、チームメンバー全員で四苦八苦しながら無事に立ち上げにこぎ着けたところ、熊本地震が発生し、現地に赴くことになりました。被災した熊本城を見ながら、余震で揺れる中で復旧作業をした経験は、いまだに忘れられません。同時にインフラネットワークを支える重要性も痛感した出来事でした。

    さまざまなプロジェクトで、いいメンバーに恵まれ、一緒に仕事ができたことは、かけがえのない財産です。このような体験を若い人たちにも味わってほしいという思いがあり、このころから人材育成にも興味を持ち始めました。人は失敗から学ぶことも多々ありますが、成功して学んだ方が気持ちよく成長すると思っています。

    新たな成功体験を後進に託し、<br>今後は会社を成長させたい

    新たな成功体験を後進に託し、
    今後は会社を成長させたい

    オンサイトを2年間経験し、オンサイト業務が軌道に乗ったところで、設備縮退設計へ異動し4年間は新たな縮退装置の設計を担当していましたが、2022年、またまた東京へ異動になり、現在はインフラネットワーク部門で総括業務を担当しています。これまで、インフラネットワークに関わる業務は一通り経験してきたのですが、現場を後方から支援する部材の調達や、固定資産の管理、通建契約関係などは未知の領域ですので、日々、勉強の連続です。着任後すぐに組織再編となり、業務フローやシステムが変わったこともあり、慌ただしい毎日を送っています。

    とはいえ、さまざまな現場に携わった経験があるため、このような環境の変化は苦になりません。むしろ、楽しむように心掛けています。そして自らが変化をつくり出し、どんどんまわりを巻き込んで、大きな動きにしていくようなことができたらと思っています。さらに、自分の知識やノウハウを生かして、人材育成にも関わりたいですね。若い世代の社員にバトンを託して、コムエンジをもっと大きく、魅力ある会社に成長させたいというのが、今後の目標です。

    コムエンジの行動指針「めいげんそ(明るく元気で素直)」が定められる前から、私はどんな無理難題であっても、「どうしたらできるか」を考えて、仕事に取り組んできました。座右の銘は「絶対は絶対に無い」です。「絶対に無理」という局面を何回も打開してきましたし、大規模災害の復旧経験から「絶対に安全」が無いことも知っています。さらに、IT業界は急速に進展し、変化し続けますので、「絶対に安泰」も無いのです。この3つの意味合いで「絶対は無い」ことを日ごろから自分に言い聞かせて、仕事と向き合っています。

    OFF TIME
    子どもが独り立ちしたいま、休日は妻と飼い犬と、まったりと過ごすこと多いです。現在は単身赴任で、犬と戯れることができず寂しい毎日です。その代わりでもないですが、デジタルガジェットの収集に明け暮れています。とりわけApple製品が好きで、Mac、iPhone、iPadなどを愛用しています。Apple Watchはすでに4台目で、家族が使っているApple Watchは、すべて私のお下がりです(笑)。

    坂梨 敏和

    PROFILE

    坂梨 敏和

    2007年にNTTコムエンジニアリングに入社。大阪と東京を行き来し、BCP構築、伝送装置の全国構築、オンサイトユニットの立ち上げなど、さまざまなプロジェクトに携わる。遂行が難しい案件であっても、常に打開策を模索し、あきらめず前向きに取り組む「めいげんそ」の実践者。未来のコムエンジを盛り上げ、新たな成功体験を後進に託すための人材育成にも意欲を持っている。

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